遊びには一切加わらなか
一軒にだいたい3人いるから15人。
保育所同期仲間みたいなものだ。
親は介入せず、子供たちだけで遊んでいた。
古き良き時代。
(わたしの父の帰宅時、自動車音が聞こえると、子供たちは、わーっと散り散りばらばら三々五々、逃げ散っていく)
ちなみに、小川を隔た隣りは父の妹の家があり、歳の近いいとこ(女児)も住んでいたが、遊びには一切加わらなかった抖音電商。
(今、思えば、何でだろう? テリトリーの問題か?)
わたしも3人きょうだいなので、仮に例え外部と接触がなくても、身内できょうだいで遊べる。
じつは、今回の記事で、この子供コミュニティにあえて名を入れていない子供たちがいる。
これはイジメや差別ではない。
これこそ子供は何の関係もない家の事情で、遊ばない、いや、遊ばせない相機鏡頭。
家同士が、こじれている。
大人の雰囲気を子供は敏感に察する。
が、親や親の親がこの世を去り、こじれは形を変える。
うるさい人々はあの世。
まあ、その、当時遊ばなかった子供たちと、今、現在、姉は地元の諸々のことで、代が変わった元子供(現在、還暦過ぎ)とビジネスライクにやり取りをしている。
話は代々、昔に遡って、いくら当人が亡くなっていても、ややこしい。
姉に任せっきりで、わたしは報告を聞くのみ。
亡霊の皆さん、後世の人々が仲良くする応援をよろしくお願いします電動牙刷推薦。