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でいなかったため

2024年04月26日

わたしは、夫と別れようと思ったことは一度もない。
(母が勧める)別の人と結婚していたらよかったと後悔することはあるが、まだ学校を出たばかりの当時のわたしは地に足が着いていなくて、真剣に結婚に取り組んでいなかったため、ご縁を逃した。
やがて、本腰を入れて結婚に向かい合い、夫と結婚することを決めたのは自分だ。
なので、自分がしたことは自分で責任を取らなければならないと思っている。
そして、祖母や母の言うことは、女性の生き方の先輩だけあって、ずしりと重い真実のアドバイスになっていることがある。
祖母や母も、そんなに気負って重大発言のようには思っていなかっただろうけれど。
自分の体験が生み出す声がぽろりと漏れたのだと思う。

自分自身の器には、適した大きさの器がある。
自分より素晴らしいものを棚ぼた式で望んでも、無理やりその場はどうにかなっても、やがて綻びが生じる。
覚悟して死に物狂いで頑張って努力したら、器は大きくなっていたかも知れない。
が、たいした努力もせず、周りの皆さんの厚意や好意、愛情に包まれ、今日まで来てしまった。
今日の安泰は、たまたまだったかも知れない。
ではあるが、明日のことはわからない。

母は、わたしが若いある日、こうも言った。
「望み過ぎるな」と。
わたしが現状に対する不満を母に述べた時の返答だった。
祖母は、わたしが学生のある日、こうも言った。
「選び過ぎるな」と。
祖母は当時のわたしのことをさほど知らないはずなのに、重い一言だ。
直感で感じるものがあったのだろうか。

祖母には仕事で多忙な母に代わって、幼い頃、衣食住のお世話になった。
母は、わたしが生まれた頃に、父の仕事の手伝いをするようになり、両親共働きのような日常だった。
代わりに祖母が孫たち(わたしたち、きょうだい)の日々の面倒を見てくれた。
そう書くだけで涙が出てくる。
感謝の日々だ。
田園風景が広がる田舎での幼い日は、家族からの愛情に囲まれていたと想像する。
祖母は当たり前の家事の日常に、そんな自覚はなかったかも知れないが。

今日もまた自分のぽたぽた溢れ出る天然涙で、セルフ セラピー、ヒーリング タイムとなった。  


遊ぶには5軒の子供たちだけで十分。
一軒にだいたい3人いるから15人。
保育所同期仲間みたいなものだ。
親は介入せず、子供たちだけで遊んでいた。
古き良き時代。
(わたしの父の帰宅時、自動車音が聞こえると、子供たちは、わーっと散り散りばらばら三々五々、逃げ散っていく)

ちなみに、小川を隔た隣りは父の妹の家があり、歳の近いいとこ(女児)も住んでいたが、遊びには一切加わらなかった抖音電商
(今、思えば、何でだろう? テリトリーの問題か?)

わたしも3人きょうだいなので、仮に例え外部と接触がなくても、身内できょうだいで遊べる。

じつは、今回の記事で、この子供コミュニティにあえて名を入れていない子供たちがいる。
これはイジメや差別ではない。
これこそ子供は何の関係もない家の事情で、遊ばない、いや、遊ばせない相機鏡頭
家同士が、こじれている。
大人の雰囲気を子供は敏感に察する。
が、親や親の親がこの世を去り、こじれは形を変える。
うるさい人々はあの世。
まあ、その、当時遊ばなかった子供たちと、今、現在、姉は地元の諸々のことで、代が変わった元子供(現在、還暦過ぎ)とビジネスライクにやり取りをしている。
話は代々、昔に遡って、いくら当人が亡くなっていても、ややこしい。
姉に任せっきりで、わたしは報告を聞くのみ。
亡霊の皆さん、後世の人々が仲良くする応援をよろしくお願いします電動牙刷推薦。  


言葉の端々から感じた

2024年03月20日

それはそれとして。
学生時代、大手百貨店で夏季バイトをしたことがある。
その中に、仕事をしたことが全くない、ピカピカの奥様もバイト仲間としてご一緒させていただいた。
貫禄ある部長みたいな上の方とお茶に二人で行ったことがある。
この部長は、わたしを実社会にはかすりもしない人間のように感じているのではないかと、言葉の端々から感じた。
社会との接点はまるでない、空間に生きている、無味無臭、人畜無害な若い女性thermage 效果??
おどろおどろしい世界に、誰もわたしを誘ってくれなかった。
わたし自体もぜひ誘って欲しいとは思わなかったし、別に興味津々でもなんでもなかった。

また違う機会に、とある夏季講習で知り合った男子大学生に、ドライブに誘ってもらったことがある。
同じく彼も、わたしを別の惑星の住民のように感じたように思う。
着いて行ける、着いて行けない、ではなく、接点がない、という宇宙人ぶりをわたしは発揮していたような気がする。

生活感もなければ、生きている熱さもなければ、退廃的でも悲観的でも悲壮でもない、、、
社会に出たとは言え、社会には全く出ていなかった。

今も社会に出ていないような実感がある。
きっと一生このまま、社会には出ない、病室療養か、自宅軟禁か、施設収容か、そんな感覚がある。
だが、閉じ込められている部屋の鍵はない。
あるとすれば、住宅警備システムのロックと解除。
自分で開けたり閉めたりする。
外出、外泊自由なのに、快晴でも一歩も外に出ない日もある。
別にこころを病んでいるわけではない激光脫毛副作用
自分の城なんだろう。
頑丈な城を長い時間かけて築いた。
(期間限定で時々、お城食堂に、ちびっ子とその親達が無料食事をしにやってくる)

わたしは遠くに行っても、ちゃっかり元に戻ってくる。
別に誰が待っているわけでもない。
なんの束縛もない。
自分で勝手に戻って来る。
お掃除ロボットのルンバみたいに、お掃除が済んだらチャージ器に乗っかる。

時を戻そう。
高校卒業時の春のバイト。
一人だけ浮いているのに、いじめられても何の不思議もないのに、なんの摩擦もトラブルも不安も不満もなかった。
これは、何なんだろう。
これに共通するものがあるように思う。
天然自己装置??

幼稚園から高校卒業まで、わたしは1日たりとも雨の日も風の日も休まず学校に通った。
わたしの子供たちもそう。
質はともかく、身体とこころが丈夫なんだろう。
「健康は健全なこころから」かと、宇宙人らしからぬ当たり前のことを思うMedilase。  


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